2010年10月13日水曜日

同じく合掌をする者/「サトシが行く!」より


小野寺山 大慈寺
栃木県最古のお寺
平成17年、この栃木県のお寺から中国・西安の大興善寺に 高さ180cmにもなる"とある方"の像が奉納され、今も大切に飾られているのをご存じだろうか?
現在、尖閣諸島の問題から、日中問題は深刻な事態となっている。今回の"サトシが行く!"では、実に1000年以上も中国と深い交流を続けているお寺"大慈寺"の住職さんにお話を伺い、栃木県の視点から、この日中問題をどう理解したら良いのか考えてみることしにした。

この数倍の大きさの円仁様像が
西安に奉納されました。
小野寺山 大慈寺
県道佐野・栃木線沿い、国道50号線の東北自動車道/佐野藤岡I.C.から真っすぐ北に位置している"大慈寺"(大慈とは観音様の意味)。奈良時代より続く由緒正しきお寺であり、栃木県最古のお寺である。1200年以上も続くお寺の歴史の通り道には、二度に渡る大火の受難の時代があるが、ライシャワー博士(アメリカの東洋学研究者、元対日大使)も調査に来るほど、日本の文化、歴史を辿る上で重要な役割を担っている。※1
例えば、この寺より遣唐使として西安(中国)に赴いた円仁さまは、五十音の図表や、数々の仏画や経典、修法などを持ち帰り、日本仏教美術や現代の文学・文化へ多大な影響を与えている。
冒頭に紹介した奉納された"とある方"の像は、この円仁さまのことであり、西安の仏舎利塔に大切に置かれているのである。

智と知を広める住職
現在の住職である"林慶仁"さんも、この由緒あるお寺の守り手として働くばかりでなく、週の半分を早稲田大学の講師として勤務し、サンスクリット語を通して言葉と文化を教え、日本と外を繋げる役目を背負う方である。お忙しい中、その林住職のお話をやっと聞くことが出来た。



住職いわく、
「日本人は、中国との付き合い方は下手ですね。」中国人は面子を大切にする。そういった文化の違いを日本人は甘く見ている。自分達と同じ感覚で外国の人と付き合っていては、食い違いも溝も永遠に消えない。もっと耳を出さないとダメである。日本の文化は大半が中国の影響を受けている。それを受け継いで来ているのを分かっているハズなのに、なぜか日本人はそれを忘れようとしてしまう。もしもインドの仏教の影響を受けていたらば、日本ではこんなに仏教は流行しなかったっだろう。中国が、もともとあった道教という媒体を通じてインドから仏教の影響を受けたからこそ、咀嚼され、独自性が出て、中国から日本に仏教がしっかりと伝わったのである。
中国も日本も"合掌"するんです。それは同じ宗教 同じ文化で生きてきた証なんです。共有してきたことを理解する。文化を通じて理解することをすればいいのだけど、政治が絡むとおかしくなる。中国も個人個人はとても優れていて良いのだけど、こちらも政治となると弱いですね。


蔵のお化け
昔、小僧さんが寝静まったときに 蔵に化け猫が出るというので、小僧さんたちが 怖々見ると 影がゆらゆらと蠢いていた。しかし、その正体は蜀台を持って 円仁さんが勉強している姿であったという。そんな勤勉さが認めれたのか、西安では円仁さんを大切なお客さんとして、迎え入れてくれているのだ。日本人の勤勉さは今も変わっていない。遣唐使から1000年以上が過ぎているが、まだまだお互いに受け入れるべきことが沢山あるはずだ。これからも、お互いに"交流"していく気持ちを忘れてはいけないのだと思う。

サトシが行く!はこちら
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※1)ライシャワー博士 / ウィキペディア フリー百科事典より
エドウィン・オールドファザー・ライシャワー(Edwin Oldfather Reischauer, 1910年10月15日 - 1990年9月1日)は、アメリカ合衆国の東洋史研究者である。ハーバード大学教授。1955年(昭和30年)から1963年(昭和38年)までハーバード燕京研究所所長、1961年(昭和36年)から1966年(昭和41年)まで、駐日アメリカ大使を務めた。大使退任後はハーバード大学日本研究所所長として歴史に限らず日本研究を推し進め、後進の指導にも尽力した。その功績から同研究所は1985年(昭和60年)にライシャワー日本研究所と改称されている。

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